芸能人奇跡の50代10選!

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私が幼いころ、「美魔女」という言葉はありませんでした。
主に「美魔女」ブームが到来したのは、約2008年ごろと言われています。
今、アラフォーやアラフィフなどといった言葉は、まさに今の時代にあった言葉ではないでしょうか。
そんな中、最近の芸能界にはたくさんの”美魔女”がいらっしゃいますが、今回は、50代になっても相変わらずお綺麗で、輝かしい奇跡の女性芸能人をご紹介したいと思います!
これからご紹介する50代の女性芸能人は、今も昔も変わらず、いつまでも綺麗な女性ばかりです。
まだまだ若い年代の女性たちにも、50代の女性への憧れを、抱き続けて惜しいなと思っています。
では、私が素敵だなと思う50代の女性芸能人10名を紹介していきます!
①菊池桃子さん(S43年生まれ)
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菊池桃子さんのプロフィール
そして1984年4月には、「青春のいじわる」でアイドル歌手デビューを果たし、その後は、トップアイドルとして一気に注目を集め、第26回日本レコード大賞新人賞受賞、また日本レコードセールス大賞女性新人賞受賞など、輝かしい経歴をお持ちです。
その後に出したレコードも大ヒットし、芸能界では「ポスト聖子」として大人気アイドルとして成長しています。
そんな菊池桃子さんの現在の活動は、ラジオやテレビ番組などの数々のメディアに出演され、現在もいろいろな芸能界で活躍中です。
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こちらの写真は、「旅サラダ」というテレビ番組に出演されたときのものだそうです。
ちなみに写真は2022年1月なので、今年の写真ですね!
これまたお綺麗で、昔とほとんど変わらないベビーフェイスな素敵な桃子さん。
ちなみに菊池桃子さんには、成人したお子さんがいらっしゃるそうです。
こんなかわいいお母さんがいたら、思いっきり自慢したいですね!
②石田ゆり子(S44年生まれ)
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③斉藤由貴(S41年生まれ)
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スケバン刑事では、セーラー服に身を包み、当時から変わらぬ美貌は未だに健在ですね。
さらに、斉藤由貴さんのお嬢さんが、なんと歌手デビューするという情報を入手しました。
これから美人親子として、メディアに引っ張りだこなのではないでしょうか。
④森口瑤子(S41年生まれ)
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森口瑤子さんのプロフィール
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森口瑤子さんは、お顔のパーツがハッキリされているので、外国の著名人からもかなりの評価を得られているようです。
女性からのファンも多く、50代とは思えない素敵な女性ではないでしょうか。
⑤森口博子(S43年生まれ)
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現在もMCや歌手として、幅広い面で活躍されている森口博子さん。
とても歌もお上手で、あの透き通る声は、50代とは到底思えません!
またお顔も小さく色白で、20代からスタイルもずっと変わらず、憧れの女性ですね。
⑥原田知世(S42年生まれ)
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原田知世さんは、長崎県長崎市出身。
現在女優や歌手として大活躍されていますが、原田知世さんには「原田貴和子」さんというお姉さんがいらっしゃいます。
そんな原田知世さんは、1982年、彼女が中学3年生だった頃、憧れであった真田広之さんに会いたいというわけで「角川映画 大型新人募集」に応募し、特別賞を受賞し14歳で芸能界入りを果たします。
そしてデビュー直後には、1983年ヒロイン役、かつ有名なあの映画「時をかける少女」でスクリーンデビューを果たし、なんと日本アカデミー賞を始め、各映画の新人賞を獲得します。
その話題は一気に世に広まり、”薬師丸ひろ子に次ぐ大型新人”として話題になりました。
そんな原田知世さん。高校卒業後も進学を目指し学業に専念しながら、各種映画に出演。
そんな多忙な彼女ですが、松任谷由実さんが提供した「時をかける少女」 の映画主題歌を歌い、あの「NHK紅白歌合戦」などの出演を果たします。
その後も女優業や歌手活動数多くこなし、2005年にはイラストレーターの「エドツワキ」さんと結婚、2013年には離婚されています。
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幼い頃から歌手活動や女優業に励んでいた原田知世さんですが、あの有名なのコーヒーのCMにも引っ張りだこ。
あの透明感で清楚系なイメージが、年齢を重ねてもとても美しいことが見て取れるでしょう。
また歌の方も透き通るような歌声が、まるで天使に囁かれているようです。
このような50代はまさに奇跡で、女性の憧れの的となっていることは間違いありません。
⑥永作博美(S45年生まれ)
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プロフィール
永作博美さんは、1970年生まれ、茨城県行方市出身。
1988年、 人気番組だったオールナイトフジで「女子高生スペシャル」の美感少女コンテストにおいて「ベストパフォーマンス賞」を受賞。
彼女が高校卒業した1989年、フジテレビ番組「パラダイス Go Go!!」の「乙女塾」の中から、佐藤愛子さん、松野有里巳さんの3人で結成されたアイドルグループ「ribbon」を結成しました。
また1993年には、シングルデビューを果たし、その後1994年には、ドラマ「陽のあたる場所」にて女優デビューを果たします。
永作博美さんは、女優デビューを飾ると、第50回ブルーリボン賞助演女優賞をはじめ、その他にもあらゆる賞を総なめにする、人気女優へと成長します。
2009年には映像作家である「内藤まろ」さんと結婚を果たし、翌年には第一子となる男の子、2013年には第2子である長女を出産しています。
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1900年代には、テレビ朝日「さんかくはあと」というドラマにて、24歳でありながらも高校生役を演じきりました。
その当時永作博美さんを見て、「とても20代には見えない」と、家ではかなり話題になったのを覚えています。
実に現在も、永作博美さんはお顔が小さいし、昔から変わらぬチャーミングな笑顔がそそられますね。
もちろん50代には見えませんが、おばあちゃんになってもこのチャーミングさは永遠に続くでしょう。
⑦木村多江(S46年生まれ)
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プロフィール9
1971年生まれの木村多江さん。
昭和音楽芸術学院ミュージカル科を卒業した彼女ですが、在学中から「美少女戦士セーラームーン」に出演。
さらに、舞台女優として活動をしていたそうです。
しかし彼女が21歳の頃、お父様が急逝。そんな彼女はパチンコ屋さんやホテルのホールスタッフ、コーヒーショップやレストランなど、家計を守るために、いろいろなアルバイトを3つ掛け持ちをしていたそうです。
しかも睡眠時間が、毎日平均して1時間から2時間程度とのこと。いくら若い20代としても、かなり体力はきつかったことでしょう。
そんな苦労をしてきた木村多江さんですが、2005年には広告代理店「電通の社員」の方と結婚、2008年に大子となる長女を出産。
その出産以降彼女は、初主演映画「ぐるりのこと」で、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を獲得。その他にもいろいろな女優賞を受賞。
2010年には、演技力のある「日本俳優7名」の一人に選ばれたとのことです。
それ以降も数々のドラマや映画にも出演し、今でも各メディアにて引っ張りだこの存在です。
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いろいろ木村多江さんの経歴を見てみると、 かなり苦労されていたと思います。
ですがそんな苦労した痕跡も微塵も感じず、今でも透き通るようなお肌に憧れますね。
またスレンダーで、お肌のたるみも一切なく、女性として憧れる存在です。
女優業をメインとされている彼女ですが、これからの活躍を期待しています!
⑧永井真理子(S41年生まれ)
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プロフィール
永井真理子さんは、1966年12月4日、静岡県御殿場市出身です。
学生時代は音楽サークルでボーカルを務めていましたが、大学卒業後、音楽関係者より連絡があり、1987年「Oh、ムーンライト」でデビュー!
当時は、ボーイッシュなイメージが強く、ビジュアルやパワフルな歌声に魅了されました。
1989年には、YAWARの主題歌「ミラクルガール」で大ヒット!さらに翌年の1990年、人気バラード「ZUTTO」など多くのヒット曲を連発し、1991年「第42回NHK紅白歌合戦」に出場を果たします。
1992年には、日本人女性アーティストで初の「横浜スタジアム」で3万人を動員したライブを開催!
翌1993年にも同様、横浜スタジアムでライブを開催中、アンコールのステージ上で、同じライブのギタリスト「廣田コージ」(COZZI)と結婚発表。
1994年には、日中共同制作ドラマ「大地の子」に出演。
そして出産を機に一時休業し、活動再開しレコード会社を移し、新たなスタートを切ります。
その後、オーストラリアに移住しましたが、お子さんが大学生になるころ日本へ帰国し、現在は、個人レーベルで音楽活動を再開しています。
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私自身、永井真理子さんのファンであり、彼女がオーストラリアに移住するまでファンクラブに入会していました。
かつてファンクラブイベントに参加した際、一緒にデュエットをさせていただきましたが、本当に彼女は小顔で、まるでビー玉のようなクリっとしたお目目が印象的でした!
オーストラリアに在住から日本へ居住を移し、音楽活動を再開するにあたり、今でもパワフルで50代とは思えない歌声と可愛さは圧巻です!
⑨浅香唯(S44年生まれ)
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プロフィル
浅香唯さんは、1969年12月4日生まれで、宮崎県宮崎市の出身。
1984年、少女コミック主催「ザ・スカウトオーディション84」に応募し、こちらのコミックに連載されていた漫画「シューティングスター」のヒロインの役名が”浅香唯”だったことで、「浅香唯賞」を受賞し、そのまま芸名「浅香唯」として芸能活動をスタート!
のちに彼女が中学卒業と同時に上京した1985年、テレビ番組にアシスタントレギュラーとして出演。同年には、シングル「夏少女」で歌手デビュー。
そして1986年10月、あの「スケバン刑事Ⅲ」に、三代目スケバン刑事「麻宮サキ」役で一気に大ブレイクを果たします。
翌年には、彼女のシングルがドラマの主題歌に起用されたり、数々のドラマや音楽番組に引っ張りだこで、まさにトップアイドルの王道でした。
プライベードでは、2002年、彼女のコンサートでバッグバンドの一員だった「西川貴博氏」と結婚し、のちに女の子を出産します。
そして、一時期契約していたレコード会社との契約切れをきっかけに、一時期は休業をしていましたが、1997年に個人事務所を設立し、音楽発動を再開。
そして数々の活躍の場を広げ、現在に至ります。
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浅香唯さんは、デビュー当時から歌唱力抜群で、小顔でスタイルも良く、異性だけではなく女性からの支持も圧倒的人気を誇っていました。
そんな彼女は、近年音楽活動のみならず、バラエティー番組にも出演する機会が増え、まさに、あのスケバン刑事時代からの、多くのファンも喜んでいるに違いありません!
しかも、そんなセーラー服姿だった浅香唯さんは50代。とにかく年齢を感じさせないルックスに、驚きを隠せません。
今後の活動も、ぜひ応援したいものです。
⑩森高千里(S44年生まれ)
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